ずいぶん空けてしまいお許し下さい。
私達が“台詞の自然”を考えるに当たり、反対方向から攻めてみよう。先ず“自然でない台詞”といった時、どういうことが考えられるだろうか。
第一に頭に上がってくるのが、①どこか緊張が感じられる、②なんか、嘘っぽい、③作ってる、等々ある。これは受け手が感じること。では、これを克服するために話し手(俳優)は、今上げた各々の反対をすれば良いのかというと、そうでもない。①の心身の緊張をなくし、俗にいうリラックスをしたらどうか。それは2分の1合っているが、あとを満足させない。我々は初対面の人には誰でも緊張する。二度目に会った時はずいぶん慣れて自然になる。これを準自然体という。演じ手(話し手)は、各々の場の二度目の緊張+リラックスを掴むことだ(訓練で掴もう)。②の“嘘っぽさ”はどうだろうか。「うそ」学では、正しくないこと、適当でないことと説明するが、「ココロノワダカマッタモノ」が役立ちそうだ。ワダカマル=心に一物ある様、を言い、息の詰まった状態だ。当然声帯緊張も高く、“声の詰まった”状態である。実は息が詰まる時、人は無意識で軟口蓋を緊張させている。これ等を適度に弛緩させることができれば及第だ。③の、「作っている」。これは想像と体験の問題で、通常の戯曲分析や役作りと似ているが、少し違う。俳優は実演者で研究者ではない。実演者にとっての想像(創造ではない)や体験で重要なのは、なるべく良質なサンプルを持つことで、サンプルを持つ人と持たない人では大違いだ。今は映像でとりあえずのサンプルに接することができる。ないより良い。次に、俳優はサンプルを「真似る」力を育てることが重要だ。ではこれらを実現するには具体的に体をどうするか、を次回語ろう。
磯貝靖洋
写真:下家康弘