【コラム】「俳優のセリフ、俳優の仕事」

俳優とは、自分の心を使い、いま、そのセリフにより、その役の心に入り込み、考えられるだけ沢山の心を経験すること。それを全身で体現できる人。それは俳優本人にとっては非日常(現実)で“実”ではないが、そのお蔭で自分の知らない心を実体験できる。その役のその人、その心を知る(持つ)ことができる。隠れている心を自分の全心で暴いていくこと、それを全身で実在とすること、これを俳優の仕事という。

磯貝靖洋

(2017.3.14 ヴォーカルパフォーマンス2・台詞講座 レッスンデータメモより)


【コラム】「古典音読について」

(「台詞の自然を考える」③はまたの回をお待ちください。)

古典はそもそも我々共通の財産であるが、興味を持たぬ人が多い。今の日常語と違いすぎる点がある。先ず語彙が違う。分らない。用法が違う。読めない。生活が違いすぎ馴染まない等々…。現代語特に喋り言葉とは程遠い。とは言うものの、各々の地方の地付きの人達の話し言葉は、聞いても分らないものが多い。そもそも方言は文字にならないものが多い。真似して覚えるのには大分時間が必要となる。それに比し古典音読は、いくつかの法則を知れば、その言葉の文字をしっかりと立てて読めば読めるし、意味も分かってくる。物によっては五百年、千年前の日本人の喋り言葉が分り、過去とのつながりがリアルになる。目読み、黙読では分らない、我々の宝に触れることが出来る。

磯貝メソッドでは、過去、現在、未来を声で往き来しようとしている。

磯貝靖洋

(2016.8.4 表現・話し方講座 レッスンデータメモより)

 

160625-081

 


【コラム】「台詞の自然を考える」②

ずいぶん空けてしまいお許し下さい。

私達が“台詞の自然”を考えるに当たり、反対方向から攻めてみよう。先ず“自然でない台詞”といった時、どういうことが考えられるだろうか。
第一に頭に上がってくるのが、①どこか緊張が感じられる、②なんか、嘘っぽい、③作ってる、等々ある。これは受け手が感じること。では、これを克服するために話し手(俳優)は、今上げた各々の反対をすれば良いのかというと、そうでもない。①の心身の緊張をなくし、俗にいうリラックスをしたらどうか。それは2分の1合っているが、あとを満足させない。我々は初対面の人には誰でも緊張する。二度目に会った時はずいぶん慣れて自然になる。これを準自然体という。演じ手(話し手)は、各々の場の二度目の緊張+リラックスを掴むことだ(訓練で掴もう)。②の“嘘っぽさ”はどうだろうか。「うそ」学では、正しくないこと、適当でないことと説明するが、「ココロノワダカマッタモノ」が役立ちそうだ。ワダカマル=心に一物ある様、を言い、息の詰まった状態だ。当然声帯緊張も高く、“声の詰まった”状態である。実は息が詰まる時、人は無意識で軟口蓋を緊張させている。これ等を適度に弛緩させることができれば及第だ。③の、「作っている」。これは想像と体験の問題で、通常の戯曲分析や役作りと似ているが、少し違う。俳優は実演者で研究者ではない。実演者にとっての想像(創造ではない)や体験で重要なのは、なるべく良質なサンプルを持つことで、サンプルを持つ人と持たない人では大違いだ。今は映像でとりあえずのサンプルに接することができる。ないより良い。次に、俳優はサンプルを「真似る」力を育てることが重要だ。ではこれらを実現するには具体的に体をどうするか、を次回語ろう。

磯貝靖洋

写真:下家康弘
写真:下家康弘

 


【コラム】「台詞の自然」とはどういう事なのだろうか

俳優は作られた空間(目の前に実在する)で、作られた役(実際の自分ではない)を、あたかも実在しているものとして、今、演じなければならない。

人を演じる場合は特に台詞(セリフ)が重要で、今ここで生きていて、初めて喋っているように、生々しく演じなくてはならない。この時多くの俳優が誤解するのは、全てを自分が抱え込んで処理しようとすることだ。台詞の一字一句、その内容、その精神から身体状態、相手役の様々な事etc。それらを覚えこみ、今初めての生としてやりあげようとする。これはあまりに重い仕事だ。もしできたとしても、必要以上に緊張の高いものだ。

観客も、その時そこで初めての経験で、いささか不自然さを“そういうもの”として受け取る。これはあまり幸せな関係ではないと思われる。では、どうしたら良いのかを考えていこう。
(次回へ続く)

磯貝靖洋

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