【コラム】「声とことばの磯貝メソッド」のこと

私達人間は、五感(視、聴、嗅、味、触覚)がセットされて生まれてきます。幼児期から育成期にかけ、身体と共に五感の形態も機能も育ちます。この頃、一番大きく育つのが脳です。この脳と体の育ちと寄り添うようにして育つのが、“ことば”です。中でも立って歩くようになると、脳は活発に活動し、ことばも覚え、喋りも発達します。

人間のことばは意味を持った音(声)です。まず声のことばで育ちます。英語では“Voice”と言い、声とことばの意味を持ちます。日本語では、一般的には“ことばは音である”というより、意味や文字や使い方等が頭に浮かびます。もちろん、声、文字、意味を縦横に使いこなし、素晴らしい人生や豊かな文化を築いています。

ことばは他の人達と生きていくのになくてはならぬ道具です。ことばは育成されて育つといいましたが、そもそも生まれる以前から、遺伝子の中に蓄積され、繋がっているのです。その基本の上に、日々の生活で記憶され、物事が脳に蓄積されていきます。そのため、体験したことのないことも、想像し話せるのです。

私達が何か話そうとする時、目の前の今に反応する脳と、古い蓄積された脳を引き出し、重ね合わせ、瞬時に最適な言葉を見つけ、話していきます。文字やデータ化された言葉は古い脳、声のことばは今の脳です。止まることなく次につながっていきます。声は今なのです。そして、次の今なのです。

声のことばを学ぶということは、素敵な今をキャッチすること、次の今を作り出そうとすることです。磯貝メソッドは今を生きることば(声)のメソッドです。声が変わると、ことばの意味も、発する人の心も変わるのです。


磯貝靖洋

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【2016年 年頭所感】芯をつかむ磯貝メソッド

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
そして、本年がより平和な年となる様、皆さんと一緒に頑張ってゆきたいと思います。
いま、世界も日本も危ない方向に揺れ動いています。
“殺す”という行為に鈍感になり始めています。人の命が軽く扱われ始めています。
私達の日々は実態のない見てくれに踊らされ、皆、相当に疲れています。
電車の中は、スマホかスイミン人間ばかりです。
“なんでこんなに気にするのか!”と思いつつSNSの虜となり、心が偏平になっています。
実は、私達は、本当はもっと落ち着いて穏やかな人間です。一人一人の中は、ずーっと静かであたたかです。
どうも不自然で不都合と思いつつ過ごしておいでなのではないでしょうか。
早いほうが良い、遅れない様に等、神経症の方も多いようです。

人は皆、生まれながらに自分の中に、見えない、独自でまっすぐの「芯」を持っています。身体の芯を、心の芯を…。この芯は、一人一人の意識や思い、考え、様々な行動を決定し支える芯です。一般的にも芯のしっかりした人、芯の無い不安定な人等と言います。この芯は、直接触ることも、見ることも出来ません。しかし、時折ピピピッと感じたり、“これか!”と掴むことが出来ます。その時は、自分の事がしっかり安定したり、大きな者と感じたりします。
昔の人は様々な修行により芯を掴み、研ぎ澄ます事をして来ました。
さて、磯貝メソッドの「声とことばを研(みが)く」事と、人の芯を研く事は、大きな共通項があります。一番の共通項は、人を大切にすることです。それは、ズレたりブレたりしない事だと思います。少し抽象的ですが、真中を掴み、まっすぐをやる事だと思います。磯貝メソッドはその修業の広場です。
身体を整え、耳を澄まし聴き、声を出し、言葉を紡いでいきます。
結果を急ぐと芯はブレ、失敗します。多くの人がご自分の芯を見つけ、研きにやって来られるのです。お待ち致します。


声とことばの磯貝メソッド主宰 磯貝靖洋

 


【コラム】ヴォイストレーニングということ

日本語で言う「発声訓練法」のことを英語で「ヴォイストレーニング」といいます。
なにやら、海外からやって来た新しいトレーニングの様に感じますが、
我が国ではおよそ400年以上前より、“声づくり”として特に芸能(伝統芸能界)では
各々の方法を持って現在も訓練をしており、特別目新しいものではありません。
ただ、一般の人達が関心を持ち始めたのはここ15年くらいのことです。

ところで皆さんは、日本語の発声を小中学校等で教わりましたか?
発音やアクセントについては、少しは訓練を受けた方がおられるかも知れません。
しかし、日本では芸能者でもない人が発声の訓練をする等という発想がありませんでした。
(それにしてはみんな良く喋っていますよね)

声は使い方によっては確実に悪くなります。
他の身体と同様に、適した訓練で健康な声を維持できます。
声の状態によっては大いに精神を憂鬱にします。
しかも話し方、喋り方は声の出し方によって良くも悪くもなります。
当然、歌や演劇の人は声のトレーニングを日常的に行うものです。
近頃一般の方々も声に目覚めヴォイストレーニングを始めています。

皆さんも今まで無関心でいた自分の声や発声について大いに気を使って下さい。
そして良い訓練で健康な声と心を獲得しようではありませんか。


磯貝 靖洋

 


【コラム】人の声は変わります

人の声は、日常生活で良くも悪くも変ります。
うれしい時、楽しい時は、明るい通る声に。
怒鳴ったり、大声を出し過ぎたり、風邪を引いたりすると、当然悪く変ります。
ひどい時は喉の痛みが続き、もっとひどいと、ガラガラ声の人生になります。

生き物である人の声は時々刻々変わります。
しかし、大方の日本人はその変化を大雑把に捉えて生活しています。当然声のことを訓練していませんから、自分の思い、気持ちなどの心のわずかな変化を、自分の声で聞く人にうまく伝えられません。
その挙句に“場を読め”“空気を読め”などと、ますます訳の分りにくい方向に走っています。

声の訓練とは、生活上自動的に濁って行く声をクリアに保つこと、聴き取りやすくする訓練のことです。また、中年以降はエネルギーが低下するので、声が通らない、届かない、となり、それを防ぐのも大事なことです。

言い方を変えると、“声を訓練する”ということは、
放っておくと悪くなる声(悪く変わる)を、少しでも良い状態に保つ(良く変える)ことです。
もちろん、俳優さん、声優さん、歌い手さんなどは、声そのものを常にみがき、どんどん良くする(良く変える)のも仕事です。なぜなら、声が資本の仕事なのですから。


磯貝 靖洋

 

 


【コラム】重唱(アンサンブル)の楽しみ

音と音が重なり合うと、別のものが生まれる。
安定したもの、不安定なもの、それぞれのつらなり、
それを作りだす面白さが重唱の楽しみである。

音の重なりを和音と言う。
安定して聴き易い和音(協和音)と、不安定で心安らがない和音(不協和音)とがある。
そもそも1人で歌うのと、何声かで和音を作ってゆく重唱や合唱とでは、その喜びや満足は全く違う。

1人歌い(独唱)は、譜面さえ守れば、自分の思うままに充分に歌えばよい。
人によっては人前で1人で歌うのは、格好良いこととさえ思うようだ。
音楽的に多少ずれていても持ち味として許されたりもする。

一方の重唱(アンサンブル)、これはいささか難しい。
音程が合っていないと他音間が不安定になり、相手の音との間の修正が必要となる。
こうして出来た和音は、歌う人にとっては部分でありながら“新しいひとつ”そのものである、
と言う二つの次元の満足を与えてくれる。

重唱は歌うための技術だけでなく、音楽センス、音楽マナー、音楽観など多くの事を育ててくれる。
大人数での合唱もよいが、少人数の重唱(アンサンブル)は、この味を覚えると止めれらない。


2008年10月4日
磯貝靖洋