磯貝メソッドではよく詩を読む。必ず声を出して読む。声を上げて、声を流して、声をひそめて…。小説やエッセイも楽しいが、詩は特に良い。
神さんは人に言葉を与えてくれた、音楽も与えてくれた。人は心豊かになった。
言葉と音楽の間にいるのが「詩」だ。文字に書いて作るのも良い。木の下で黙って読むのも良い。でも声に導かれて読む詩は更に良い。詩の言葉は、物や心そのものではない。少し静かで、大分やさしく、深く鋭い。そのものより本物が多い。人の声は心そのものだ。内容や思いがどうであれ、その声が全てだ。どんなに楽しい文字言葉で綴られていても、読まれた声がそのものの本物。
アダムとイヴはイチヂクの葉で身を隠したが、声は全く隠せない。詩人は見えないものを文字にする。言えない心をなんとか文字にする。文字どころではないエネルギーを不便な文字にタタキこむ。死んだ先まで文字にする。眼で読み、頭で納得しても、それは生まれる前の殻の中の雛。空気に当たり酸化しビクビクヒリヒリしている生ではない。
声は地上で生(なま)で、生きる不思議を与える力。それは心や頭や身体を突き抜けた力だ。時間や距離を包み込んで持っていってしまう不思議だ。自分の舌で自分の肌を舐める。しばらく舐めていると、舌の肌と腕の肌が同一だと、ふと気づく、あの不思議に似ている。
磯貝メソッドは詩を読む。声で読む。生の不思議が好きなので、声で詩を読み続ける。