プロをめざす人には、程好い距離感(ドラマと自分、言葉と自分、音楽と自分など)が必要である。
よろずプロと名の付く人(職業)は、自分が夢中になってやったからといって出来るものではない。
特に歌の演奏家という職業は自分の状態(発声、精神、身体、準備、集中力など)に対しては全面的に責任を負わされている。その上で演奏作品の品質を上げこそすれ、下げる事は出来ない。自分なりで良いなどといったレベルは問題にならない。
実際、あの五線譜の記号と自分との間で具体的にわき上がってくる、“あの事”が仕事である。
自分の声を使い、知力と身体を駆使して、譜面との間に生きた魔物(“あの事”でもあり湧き上がる音楽でもあり、生き生きとした音楽の実感)を造り出す仕事だ。入りすぎると魔物に飲み込まれる。距離があり過ぎると魔物は書き割り絵のごとく止まったままだ。とり合えず音は出すが、死んだ音だ。
音楽との距離感は中でも面妖だ。魔物が立ち上がると、音楽も自発的にうごめき始める。
魔物を中にはさみ、自分と音楽との取り引きが面白くもすさまじい戦いとなる。
ここまで来ると、プロ級の演奏と言えるかも知れない。
計算して出来るものではない。練習しなくては出来ないが、練習して出来る訳でもない。
しばらくの間、魔物に魂を売り渡す作業なのかも知れない。
磯貝 靖洋