【コラム】「オーソドックスな母音音を教わらないで育った日本人」

アマガサ、モノドモ。

この語は各々アとオの母音で出来ている。
同一母音に色々な子音が付着しているとも言える。

私達の日本語は5つの母音を持っている。

また全ての音節(拍)に必ず母音が登場する。
先程の雨傘はAmAgAsAといった具合である。
(正確に云うと「ん」と促音「ッ」については母音はない)
なにしろ母音がないと成立しない言語である。


さてそれほど重要な母音について、多くの日本人は正確に生成の方法と成果物である母音音を教えられて来ていない。ほとんどの場合が口形図にならい発音する事で終わっている。
そしてサンプル音(多分先生や親)に合わせた“つもりの近似音”で卒業だったと思う。
その後はまわりが全部日本語なので大きな違いはなく育っては来た。

一方私達が外国語を習う時、少し本格的な所では必ず、その文字の音はこの音、と先生がうるさく指導する。
当然口唇の形、舌の使い方(活舌=タンギング)をしつこく直される。

その語の音はこの音。それはこうやって構音する。その音がちがうと意味が通じなくなる。

という分けで先生の口や舌を真似、その音を良く聞き、くり返しくり返しして身に付けて来た。
特に独語の¨(ウムラウト)には手をやいた、いや口をやいた人も多いと思う。

そこで身に付けたのは“言語にはその音がある”ということだ。

声は各々の固有なものであっても、その素材をつかって必死になって“その音”にしようと構音機能をフル回転して真似て真似て、その音に近づけようとする。その音と機能を覚えてはじめてその音や語を発音する事が出来る。

いま私達が、この語やこのフレーズはこういう音という事を明確にし、この音が“オーソドックス”としようとしても、一概には決められない。色々あって豊かになるetc…と音以外の次元に話がとんでしまう。

何百年もほったらかしにしておいた日本語の音の事だ。
当然何百年もかけて、しっかりしたものに再構築して行くことだ。

これは全く新しい日本語の次元を発達させ、新しい次元の知性を発明発見することになるであろう。


2010年6月
磯貝靖洋