【コラム】「程好い距離感」

プロをめざす人には、程好い距離感(ドラマと自分、言葉と自分、音楽と自分など)が必要である。 

よろずプロと名の付く人(職業)は、自分が夢中になってやったからといって出来るものではない。
特に歌の演奏家という職業は自分の状態(発声、精神、身体、準備、集中力など)に対しては全面的に責任を負わされている。その上で演奏作品の品質を上げこそすれ、下げる事は出来ない。自分なりで良いなどといったレベルは問題にならない。
実際、あの五線譜の記号と自分との間で具体的にわき上がってくる、“あの事”が仕事である。

自分の声を使い、知力と身体を駆使して、譜面との間に生きた魔物(“あの事”でもあり湧き上がる音楽でもあり、生き生きとした音楽の実感)を造り出す仕事だ。入りすぎると魔物に飲み込まれる。距離があり過ぎると魔物は書き割り絵のごとく止まったままだ。とり合えず音は出すが、死んだ音だ。

音楽との距離感は中でも面妖だ。魔物が立ち上がると、音楽も自発的にうごめき始める。
魔物を中にはさみ、自分と音楽との取り引きが面白くもすさまじい戦いとなる。
ここまで来ると、プロ級の演奏と言えるかも知れない。
計算して出来るものではない。練習しなくては出来ないが、練習して出来る訳でもない。
しばらくの間、魔物に魂を売り渡す作業なのかも知れない。


磯貝 靖洋

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【コラム】「良い楽器と良い音楽」

音楽は楽器を奏でて演奏する。
良い楽器と良くない楽器では、音の質がちがう。
奏者の良し悪しにより音楽の質は変わる。

歌は、本人が両方である。

一般的には双方、ソコソコに生れ育つが、更に良質を求めると、先ず楽器作りから入る。
どうやって作るかというと、歌うことで作って行く。

歌がうまくなったということは、楽器も育った、と言うことで入れ子で育ってゆく。
とすると歌がうまくならない、という事は楽器が育っていないことになる。
良い音楽とは質の良い響きの事だ。

ところで響きとは、音源から離れた所にある。
遠くに良いものを作れる楽器(素材、歌では声)と、
遠くに良い音楽を奏でる奏者が良い音楽者ということになる。
 
自我や自意識の強い場(人かも知れない)には、良い音楽は育たない。


2012.11.22
磯貝靖洋

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【講演録】 磯貝靖洋 講演 「声でつかむ命の実感」④(完結)

 「Vocal Arts Theater No.3 ―声を磨く、言葉を研く―」(2014年5月5日開催)における、 磯貝靖洋 による基調講演「声でつかむ命の実感」を全文掲載するシリーズの4回目、最終回です。


(③からの続き)

声っていうのは、ないと困ります。勿論あった方が便利です。ない方もいらっしゃる。その声が言葉を作っている。声以外のことばも勿論あります。手話だとか文字のことばもあります。やはり、あのとき以来、私は、人間の持っている言語っていうのは声から始まったと、それは魂に直結しているのではないかとだから日本では言の葉なんて言うんだろうと、思いました。ですから、声そのものが私の道具ではない、どちらかっていうと私が声の道具なのではないかと、と思うようになりました。そうしましたら、妙に楽になりました。

それから、そうか、声のことっていうのは、もっと技術的にも科学的にも色々のことが勉強できそうだな、ということを感じるようになりました。それから、先程言いました、こういうことがあるな、こういうことがあるな、これもっとこうしなきゃな、ということの方に、少し邁進することが出来るようになりました。それで今ここで皆さんの前に声や言葉のプロフェッショナルとしてお話しできるようになりました。

これから、いろいろ面白いことをご紹介します。明日は特にパフォーマンスで、いわゆる「見せる」、ヴィジュアルに見せる、というよりも声を見せる、言葉を見せる、ということをやってみようと思います。たとえば、そうですね、宮澤賢治、詩、これも、声で見せます。書いてあることを身振り手振りでするのではありません。そういうのには飽きましたから、そうではないものをしたい。ではどういうものか、必死になって模索している最中です。若い人達がたくさん後からついてきて、どんどん次から次へと新しいものを出して行ける、面白いなあ、と思っています。声が、やはり心を突き抜けていることであると、そうしないと言葉というのは途轍もなく、私有化されて勝手な使い方しかされない。今の新聞見ていたらひどい話しですね、「そんなことあるか」っていうことを平気でやるようになりました。たまたまそのああいう社会的に困ったですねえ、というような事業、仕事をなさっている人達がそのことを説明している時の音声、これは汚いです。よく聞いてみて下さい。さきほどやったように、およそ喉からなんか出していません。口先言語ばかりです。薄っぺらです。だって我欲の満々ですから、そりゃあそうでしょう。そんな声はやっぱり聞きたくないし、その仕事になるとどうしてもその声になるのかもしれません、それは分かりません。

言葉そのものはいろいろの意味を持っています。情報です。それを伝えようとします。でも、それは情報や伝えるってことが仕事なんじゃない、それは仕事かもしれないが大切なのは、それよりももっと元にある、それは声で作れるんだ、声で掴めるんだ。まだまだ私もしばらく生き長らえてこの仕事をさせていただきたいと思っています。ありがたいことに若い方たちが興味を持ちはじめました。好きなことを好きなようにしゃべる、というのは、あまり面白くなくなってきたんでしょうね。自分の、何ていうんですか、時々言葉でいうんですが、「自分の芯に問い掛けるような声がある、わからずに『ワァー』っと発散するのは、5分してたら嫌になる、それが嫌にならなかったとしたならば、君は心は壊れている」ということを平気で言うようになりました。難しいですね、これも言いようによって聞きようによると磯貝は宗教者かと思われますから。はい、そうではないんですね、あくまでも声である。

このあと、いろいろのことをご覧いただきたいと思います。明日はパフォーマンスをご覧いただきます。

最後までごゆっくりおつきあいくださいますよう、お願いいたします。

ありがとうございました。

(講演ここまで)

 


【講演録】 磯貝靖洋 講演 「声でつかむ命の実感」③

 「Vocal Arts Theater No.3 ―声を磨く、言葉を研く―」(2014年5月5日開催)における、 磯貝靖洋 による基調講演「声でつかむ命の実感」を全文掲載するシリーズの3回目です。


(②からの続き)

その次のことというのは何だと、考えるきっかけのことをちょっと話しましょう。これは、まったく久しぶりに、ご披露する、世間様に表に出す秘話の一つでございますが、久しぶりにお話しします。ちょっとお待ちください。 (間) およそ、50年ほど前です、私が20歳の夏休み、の出来事だったと思います。もう半世紀になりますから、あまり正確ではないですけれども、記憶をたどってみます。ちょうど、東京オリンピックの準備で、景気も上回っていた頃でした。当時、ボランティアという言葉も習慣もあまりなくて、といったようなことを、宗教団体の方、キリスト教の方や仏教の方たちが奉仕ということでやってらっしゃいました。殊に、キリスト教の奉仕団体の方は、神田のYMCA、まだ残ってますけれども、あそこにございまして、私そこに参加したことがあります。何故かというと英語を勉強したくてそこに行きました。いろんな方と関わっていたんですけれども、ある時にですね、5月の終わり頃でしたか、壁にいろいろの情報が貼り付けてありますね、それをこうなんとなく見ていましたならば、障がい者コロニーで、男子の医学生のアルバイトを募集しますと。というがこれくらいので貼ってありました。なんとなくこう、急いでたんですけれども、何かまた帰って同じものを見ているんですね。「障がい者のコロニーで、学生のアルバイトするんだ」と。

で、衝動的にオファーしました。そうしましたならば、それは、琵琶湖のほとりにございます、障がい者のコロニーでした。国立です。これは、国立の障がい者コロニーの第二番目だか一番目だかの、そういう五本の指に入る初めての試みのことです。でそこにオファーした訳です。で行ってみますと何のことはない雑用ですよね、出来立てのところですから、雑用と、あとは病床見回り、ということを仰せつかりました。で大体30日くらい参りましたかね、休日というのはほとんどないんです。費用はっていいますと、あれは多分大阪からではなかったかと、京都か大阪からか覚えてませんが、そこからの現地までの交通費は支給する、それから、あとはその施設での何ていうんですか、食べるもの、それから病院ですからベッドはたくさんある、寝る場所は提供しようと、あとはない、っていうんですね。

まったくそんなことは気にしないで、お願いしますということで入りました。あと、どんな条件があったかと言いますと、病院ですから様々の障がい者のいろいろの人がいますから、それで、医局というのがあるのをご存知かどうかしりませんが、その医局の会議、というかミーティングですね、そこに、見学していい。これは燃えましたですね、学生がそんなところに行けると、それからあとは、そうですね医局会議と病床のフロアありますね、そして同じような病気の人達がここにいたり、ここにいたりだったんでしょうね、でその人たちが集まって、連絡会というのがあります。「こういう病気の場合は、こういうことがあるみたい」というのも、こうやってたちあいといいますか、見学していい。これも燃えました。何かって言いますと、現場ですみなさん。現実に障がいの人を扱っている人、その人たちがどんな顔してどんな声して何しゃべってるんだろう、ていうのはものすごくエキサイティングでした。

ただ、大体1日14~15時間働くわけですからだから、まあヘトヘトですね、でも若いですから、全然気にならないんですよね。それで、そういうことでやっていたんですけれども、終戦後の国の肝いりで作った、関西圏の人たちの患者さんたちが入っておられました。いろいろの障害のある人たちが来てらっしゃいました。まあ全部重度の方達ですね。30名か50名か、これはあまり詳しく覚えていません、昔全部そういうメモを取ったのがあったんですけれども、今流行りの小保方さんでしたか、のように昔の資料はなくなりました。ありましたね、実験のデータがなくなっちゃったと、あれみたいなもんで、たしかにどっか行っちゃったんです私のも。今度お話しするんで色々見つけてみたんですけれどもないんですので、少し違っているデータになるかもしれないんですけれども、あまり正確ではないけれども、30~50名くらいまでが入っていただろうと。

病棟の見回りをしていた時に、看護婦さんが、これ新しくて、セメントの壁が裸で出ているような、すごく斬新だったんですよね、当時は、木ですから、そのバーッと剥き出しのセメントのところに要はあるんです、そこで看護婦さんが、ある薄暗い小さなベッドでしたか、ベッドの脇で、患者さんを一生懸命拭いておられました。私もお掃除をしていて、見ましたら、よく見ていた筈なんですけれども初めてその時に、「あ、この人はこういう人なんだ」ということを気が付きました。これも、思い出しです。正確なことは言えませんけれども、「この人はねえ、もう25年もこうやって生きているんですよ。僅かの体の動きと目の動きと唇の動きで話してくれるんです。私も随分分かるようになったけれども、まだまだね。」という意味のことを看護婦さんが私に話してくれました。私は夢中になって「全然しゃべらないんですか、声出ないんですか」と聞きました。そしたら「見てごらんなさい、ここに喉頭がありますね、喉頭はあるけれどもヒューヒューとしか言わないんだ」と仰るんです。よく聞いてますと、専門的に言いますと喘鳴(ぜんめい)と言うんですけれども「ハァーハァー」というのは確かに聞こえるんです。でも声ではない。年に何回しか声を出さない、というお話も伺いました。

私は専門がそういうところではなかったものですから、あまり障がい者の生理の事は勉強しませんでしたから、詳しいことはお伝えできません。でも、何しろ、もうお亡くなりになりましたから、ここで話しても悪くないだろうと。悪いかもしれないけれども、許されるのではないかと思います。

実際にその方は、座ったとします、ベッドの上に座ったとします、上半身と頭の大きさがちょうど1対1くらいなんです、そして足と手が、まるでこんなパイプみたいのが、こう折り曲がっている、ビアフラの子たちが写真に写っているのもありましたけれども、生きたままでそういう状態でした。たくさんの重度の方がいらっしゃいますから、特別に私は感じないでたんですけれども、たまたま、その方と看護婦さんが人間的関わりをしているものですからいやに気になって見てしまいました。「これで、生きていられるんですね」って言いました。看護婦さんが大変に軽蔑した目を私に向けまして、「あんたそれで医学勉強してんの」と言われました。

ドキッとしました。普通の、自分と同じような格好をしていないで、不思議な格好で生きているっていう人は、人間じゃあないと思っていたわけではないんですけれども、どこかにあったんでしょうね、ですから「いや、そうことじゃなくて」って夢中で打ち消すんですけれども自分の中でもう取り返しのつかないところにいっちゃったなと、実感しました。その方は、実はお名前がタカハシヨシロウさんという方、いまだに覚えています。これは、ちょっと因縁じみているのは、私の兄、二つ上の兄なんですが、これも、ヨシロウという名前でした。彼は5歳の時、私が産まれるより前に死んでます。名前を聞かされて、見たらネームがあるんですけれどただ見てただけなんですね、そして、その方の実体を人間的に捉えて、そして聞いてみて、生きている、という実感を感じて、その時に、タカハシヨシロウという名前を見たと同時に何だか分んないんだけどウォーっとおかしくなっちゃった。「私の兄と同じ名前なんだ」というのが少し経ってから実感してきました。

その、生きている、ということ、これが、必ずしも元気でいい声出してやっているわけではない、何て言いますかね、ほんとその方が、ようやく生きていると、ようやく生きているというよりもそういう生き方でしょうね、それを拝見していて、やはり夏です、終わりの頃は8月の後半ですから、とても蒸し暑くて大変な時だったんですが、夕立ちで、猛烈にピカピカゴロゴロドッシャーンていう向こうは多いですから、始まりました。そしたら、ちょうどそこを通りかかったので、見ましたらば、タカハシさんの所が、ヨシロウさんのところが、猛烈な光を発してるんです。「なんだーこれは」と思いました。すぐに、わかってたら何てことないんですけれどもオーラを発してるんですね、で「このことか」って思いました。近寄って、どうしたのかな、と思って窺っていると、低ーい声で「アー、アー」と途切れながら声を出しているんです。これまたやっぱりやられちゃいました。「なんだー」ってことになりました。年に何度かしか声を出さない方が、今私の目の前で声を出していると、これは、生きているというよりも「声なんだあーー」と感じました。その先に、命があるんだなあ、と感じました。命があるから、体が動くから、「アー」と声を出すんではないんだろうと、否応なしに衝撃を受けちゃったんですね、頭の回路が逆になっちゃったんです。

「1+2=3だったならば、3=1+2である」というような回路が逆になっちゃったそうしますと、それからというものは、声やことばに関してということの観念が変わってしまいました。私が努力して一生懸命出したらば、出る、というものではなさそうだ、そういうものもあるけれども、その、ヨシロウさんというのは自分が努力して出しているのではなくて多分、私いま勝手(に思うん)ですよ、あのときも、こう雷だか、ああいうエネルギーが彼をワァーって引き摺ったんではないかなと、こんな話をするととっても難しいんです、うっかりこれ新聞なんかに載せられると一つは「それはやっぱりこうなんだよ」ってオカルト好きな人が大喜びしたり、それから「それは何ら根拠がないではないか」ということで悪し目に遭ったりする、厄介な社会になってますから、それで僕はこの話をするのをやめちゃいました。「分かんない人は分かんないんだからいいや」と思ったんです。

でもそれはちょっとひどいだろう、と自分の中では感じてたんですよ、これを何とか伝えなきゃな、と思って、自分の意志、心ですね。自分の意志が声を出す、という部分も勿論ある、でも、そんなもの関係なく乗り越えちゃっただかもっと根底に何かなかったならば声なんて出てないんだよ。その声で「イエアオウ」とか「おはようございます」だとかいうのは簡単です、でもそれがなんぼのもんなんだと、これはいつでも毎日自分で問いかけてます。

(④へ続く)

 


【講演録】磯貝靖洋 講演「声でつかむ命の実感」②

 「Vocal Arts Theater No.3 ―声を磨く、言葉を研く―」(2014年5月5日開催)における、磯貝靖洋による基調講演「声でつかむ命の実感」を全文掲載するシリーズの2回目です。


(①からの続き)

いろいろ私も仕事しましたけれども歌いますし、室内楽でもって、いろいろしました。それで室内楽の場合は楽器の人達がなるべくいい音を出してください、それを私が何となくまとめる、という稚拙なことをやっていた訳です。これはやってて満足しないんですよ。合ってりゃいいんじゃないんだ、そんな程度じゃ音楽はつまらないんだ、ということがムクムクと起って来る。じゃ何なんだろうな、と、これがずーっと問いかけていました。

で、ヴィジュアルの世界、目に見える世界と違って、音の世界、声の世界、これは、すぐ消えます。これが特徴です。これがありがたいことなんです。残っていたら厄介なんです。消えてしまう、ということを頼りに、どんどんどんどん生産するんです。残っていると、それを逆に、アリバイとして、どんどん修正します。そうすると、聞いている方は、修正している結果しか聞けないんです。何か聞いていると、理屈っぽいんですね。もしくは言い訳っぽい。声が出てくる、演奏する、海外で仕事をしていて、日本語と違う、先ほども話にありましたが、日本語と違う音楽をやっていますと、息の使い方、響きの使い方、これを当然違う、あのー言葉が違いますから、当然違います、彼らと仕事をしていて、日本人というのは前に向かっていくというよりもそこに留まっている事を充足することの方が多い、ということを感じました。

ですから、先程の廣木さんの方にも話がありましたけれども、ユニゾンというのはうねらなきゃだめなんです。ただ合ってファーと出てたらダメなんです。あの6人の声が一つに集まって来て、「わ~らべ~はう~たう~(歌)」これじゃあ全く意味がない。グーッとうねっていきますと、エネルギーが一つになりますから、当然そのエネルギーはどこかへ行きたくなります。グーッて、でそれがどんどんどんどん絞られていきます。一つのフレーズが絞り合いをする訳です。その場合、喉で聞いて喉で出すっていうことを言ってます。歌の中には「タ~ラリ~リラ~リラ~リ(歌)」で何でしたっけ、言葉は忘れちゃいましたけど、最後は「ア~、ア~」と喉を開くんです。でも開きっぱなしにしてしまうと「ア~~(歌)」となります。これは出してると結構気持ちがいいんですよね。でも受けている音楽、聞いている方としては別にそんなよろしくないんですよね。音楽としては、発散しちゃった、散漫になっちゃった、ということです。消えてなくなっちゃうんです。

要は何かっていうと、私の考えとしては観念というか実感ですね、音というのはなくなるから次が出てくる、なくなろうとするから次を作らなくてはいけない、というのが、私の音の観念、実感です。ですから、「い~ら~か~のな~み~の~(歌)」があります、「いーらーかーのなーみーのーくーもーのーなーみー(棒読みの歌)」これは次がないんです。ただことばをリズム通り、譜面通りやっているだけ、なんです。じゃあどうするかというと、「ウーウウーウ(歌)」うねる。これは、発声法であると同時に、呼吸法です。そういう言ってみると様々な方法論ですけれども、それを考えました。で皆さんにやっていただいて、やってるほうも結構充実感があると同時にやはり聞いている方が、ほかのとちょっと違うなと、特に日本語の歌の時に違うな、ということを感じていただくことがしばしば起こってきました。

これは音楽、プログラムにもございますけれども、喉を鍛えようとしましたならば、大きな声で怒鳴ることではないです、歌を歌うことです。これはもう、歌が一番です。これは誰に聞いてもそうです。歌そのものの種類をどうするか、それは様々あると思います。それは、ご存知と思いますけれども、笛がここにあって声帯がこうあるんですけれどもね、こんな感じになっている訳です。でこの間に下から空気がプーッときて、吸い寄せられてピラピラピラとなる訳ですよね。2枚の羽根が1枚になって、音を連続してトットットットットッと出すんです。

そうしますと、自分の出している声が、ワーッと広がるような感性ややり方をやっている限り、自分に集中力があるはずはないです。ですから、「嬉しい」ともし感じた時に、「うれしい~」って言うと、それで全部なくなってしまう、「嬉しい」の次が起こらないんです。これはやはり「ちょっと嬉しくないねえ」と、やはり思います。特に私は、仕事で今日このあとご紹介いたしますけれども、パフォーマンスをする人たち、の声を扱うことが多いです。歌もそうですけれども、俳優さん、それから演説をなさる方、様々な方が声を使って、職業として趣味としてなさいます。それが、本人の充実感、というのよりも、聞いている人が、なるほど、引き込まれてしまう、という声の出し方や言葉の出し方、これの方がいいでしょうね、多分ね。じゃあどうするのかと、これはいろいろ考えました。で、こうやって今、私、すいません、ちょっと喉をやってしまいまして、変なガラガラ声になってしまったんですけれども、本当はもう少しいい声ですから、ちょっと我慢してください。またいい音を聞きに来てください。

ことば、歌の時のことば発声、ことばを話す時の発声、というのを何とか近づけたいと思いました。ですから、こんなガラガラになっていても「た~か~くの~ぼ~る~や(歌声)」という声は出るんです。でも、「あのままでしゃべり続ける(歌声)」とちょっと馬鹿らしい、日本語には馴染まない。じゃどうしましょう、これはやはり私たちの職業の人間に対しての宿題です。そういうことで、ことば、声、これはもう密接したものですそして、それを出す私の満足というよりも、それが次へ続く、先に対して提供できて、それを提供できた先がどんどん再生産していく、という声やことばの実感、これができたらいいでしょうねえと、やはり思いました。これは、思うという自分の、何と言いますか、精神的なものよりもむしろ身体的な実感です。ですから、先程のこの人たちの気持ちが入っちゃって「た~か~くの~ぼ~る~や(気持ちの入った歌)」それやったらやれると思うんです。でも、それはやってる本人だけが気持ちがいいんです。あの、言い方が難しいんですけれども、テレビ的表現過多になると、身振り手振りが多くなります。歌だったり声でやったらいいと思うんですけれども、身振り手振りでそれを補足するようになる。それもいいでしょう、楽しいことですから、それでいいと思います。で、もう次のことをやりたいなあ、と思ったんです。

(③に続く)